公務員を身分ではなく、職業にする、という堺屋さんの意見
週刊朝日 2009.3/13日号で、堺屋太一氏と中谷巌氏の対談より
その中の、堺屋さんの意見です。(以下、一部引用します)
『明治維新とは何かといえば、第一に武士の身分を廃止したこと・・・・同様に今、公務員を身分ではなく、適任者の務める職業にする。公務員は「身分」という発想だから、能力も意欲もない人でも試験合格者は高い地位につき、高給で天下りする…・・・』
「怒るというより、笑っちゃうくらい」、みごとな見識だ。
中谷さんも同意されていたようだ。
もちろん誰でも直ぐに分かる。「笑うというより、怒っちゃうくらい」になる。
身分とは何だろうか・・・
身分制度といえば士農工商のような階級制度のこと。戦後は地主と小作の階級も解消された。現在は民主主義で自由平等社会だから、階級はないはすだ。
資本主義の黎明期や左翼運動の激しかった時代は、階級闘争という言葉もあったけれど、今は階級社会という言い方はしないし、そういう強い認識もないと思う。
だから今は身分など無いはずと思っていた。
「身分証を見せて」、というのはヘンで、「身元証を見せて」というべきだろう。
でも身分という言い方は、軽く広く使われている。
そして、堺屋さんが言う通り、「身分」は存在している。顔のみえない、既得権益の組織があちこちに存在している。
民間企業なら倒産リスクがあるから、緊張感もあるけれど、公務員組織にはそれはない。債務超過の自治体でも安穏としていられる。夕張市の例があちこちで起きているわけではない・・・
階級はないと思いたいが、正社員と非正規社員との抜きがたい階層はある。これが近時の政治の成果である。
売り上げ低迷で昇給なし、賃下げ、希望退職という世相を見たら、公務員の「身分」も、いっそ税収とリンクさせれば少しは変わるように思うのだが・・・
今日の閉塞した時代が、身分や階層の存在をあぶりだした。公務員の身分も、少しずつだが削がれる時期が近づいているように思える。今のままでは国も地方も持たないから。
「怒るというより、笑っちゃうくらい」で済ませられるのは彼だけだ。
似たような事を3年前も書いていた
授業料減免11人に1人--人生の岐路で子ども達は格差と出会う
結局、ひどくなっただけだ。
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