東邦レースについて上尾百年史で発見した五大工場の流転
図書館で上尾百年史と上尾市史から戦後の工場誘致の足跡を知る
現代の情報はほとんどネットで調べられるけれど、少し古い情報や学術的に価値があるわけでもない情報はネットにはアップされていない。グーグルがあらゆる書物をデジタル化すれば別だろうが、まだまだ一地方に埋もれた情報は書物を直に見るしかない。
でも思ったのだが、地方自治体は積極的にグーグルに郷土史などを提供して検索エンジンに載せてもよいのではないのかな。
「東邦レース」について調べようと図書館に行った。産業史があればよかったが、そのようなものはなく最初に手にした上尾百年史にドンビシャリで見つかった。また上尾市史第七巻にも記載があった。
上尾の中心部は中仙道の宿場町として成り立っていたが、周辺は純然たる農村であった。明治時代からの産業と言えるものは製糸業だが、それも大正末期には衰退していった。
昭和になってから今日の上尾の近代工業の基盤となったのが以下にあげる「五大工場」である、というとらえ方をしていた。
郷土史をきっかけに、ネットを併用することで各企業・工場のその後を知ることができた。但し、以下は個人的に調べたものであり、正確さを欠く場合があるかもしれない。
(1)東洋時計工業(株)
昭和7年に上尾市柏座に移転してきた。主に自動車用計器類や置時計の製造。昭和32年で従業員数は616人と上尾町では大規模である。 戦後、オリエント時計に併合されているように見えるが、上尾工場については良くわからない。
(2)昭和産業(株) 上尾工場
昭和12年に上尾市谷津にて操業。ブドウ糖や水あめの生産をしていた。「昭和の天ぷら粉」で有名な昭和産業は現在も食品メーカーとして健在。
同工場撤退の跡地に建つ、ヨーカドーが核テナントとして入居するショーサン・プラザの名前はもちろ同社名を冠したものだ。隣接するキンカ堂跡地にできた「ショーサン上尾ビル」(天然温泉とスポーツ施設/ゼクシスが入居)も同社ビルである。
この地ではデベロッパー的な役割をしているようだが、古い大企業が工場再編により生じた好立地の遊休地を売却せずに資産活用を行う典型的な例だ。うまくいっているようだ。
(3)㈱東洋伸銅所 上尾工場
昭和12年、前身となる大塚伸銅所が柏座に移転。昭和19年に東洋時計が時計部品製作のために当工場を吸収合併し、昭和25年に分離独立して東洋伸銅所となった。品目は黄銅棒、黄銅管等。
現在は日立アロイと言う会社になっている。銅材を加工する会社である。同社沿革史によれば、1951年に東洋伸銅所は日立製作所傘下に入り、1970年ごろから上尾工場は騎西町へ移転したとある。
(4)横浜ゴム(株) 上尾工場
昭和19年、大日本機械工業(株)の上尾工場が愛宕三丁目にでき、後年に大磯ゴム工業(株)へとなるが、昭和25年に横浜ゴムに譲渡された。生産品目は二輪タイヤチューブ、小型自動車タイヤチューブとある。
1995年には生産をやめており、2000年からは物流拠点としての上尾配送センターに転換している。関東地区における販売会社の在庫削減と物流コスト削減を目的としている。当時で最大27万本のタイヤ保管能力があるとされる。
横浜ゴムは昭和38年にプラスチック製造を専門とするハマ化成(株)を設立し、隣接する土地で上尾工場が稼働した。後に伊藤忠の資本を入れてシーアイ化成となる(CIは伊藤忠のこと)。上尾工場には研究所を構えていたが工場再編で平成17年に閉鎖して売却、今はスーパーバリューが店舗を構えている。たかだか60年の間に、一つの土地に企業が来ては去っていく。
(5)東邦レース(株)・・・本記事以外に末尾の記事も詳しい
戦後の経済復興政策が進む中、昭和27年に埼玉県の工場誘致条例の第一号となったのが上尾町へ進出した東邦レース(株)である。同社は東京都葛飾区にあった本社工場を上尾町上尾宿の二万坪の敷地に全面移転した。
事業内容は刺しゅうレース、組紐、細幅織物の製造である。従業員500人、レース機25台を持つ近代的な大工場の進出であった、と記されており多大な期待に迎えられていたようである。京都の東洋レーヨン、埼玉県の平仙レースと並ぶ日本の三大レース工場の一つである。昭和32年の従業員数630人は上尾町で当時最大雇用を誇る企業である。
昭和42年の埼玉国体の開会式に昭和天皇が出席され、後に同社を視察されたとある。
およそ35年の間、東邦レース(株)はどのような変遷を遂げたのだろうか。最盛時には多くの女工が働き賑わっていたことは想像に難くないが、その後どんな末路を遂げて行ったのかはよくわからない。レース織物の需要衰退は予想されるが、実際のところは不明だ。
当地の代替わりとなる小林コーセーの社史には、昭和61年7月に東邦レース(株)を吸収合併とある。化粧品とは無関係な事業なので、単純に土地取得のためや女性労働力の獲得のためかなどと想像してしまう。
上尾百年史の写真(p316)を見ると、今なお残る道路面から奥へと広がる正面入り口の構えは東邦レース創業時を思わせるものがある。
ネットで調べると、東邦レースの前身は日本製紐株式会社である。日本製紐は1889(明治22)年に葛飾区の四つ木に創業した(葛飾区工業史より) 。 パラシュートの紐を作っていたとの記述も見つかるが、それは一時期のことだろう。我が国の刺繍布生産では先駆的な役割を果たしたようである。
報知新聞(昭和9年/1934年/10月)・・・刺繍布とレース (上・下)
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コメント
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こんばんは。東邦レースの包み紙に包まれたレース生地を段ボールいっぱいにいただきました。くださった方のお父様がむかーし関わってたそうです。そこで調べてたら、このサイトへたどり着きました。とてもよい質のレースばかりです。歴史がわかり、とても嬉しく思います。
投稿: こと | 2014年6月18日 (水) 22時55分
こと様、ご来訪ありがとうございます。
レース生地から何が仕上がるのか、気になりますね。
さて、当地では東邦レースは34年、次のコーセー化粧品は28年ほど、そして2017年にはイオンモール上尾へと変遷します。
お店よりも緑豊かな土地の方がイイのですけどね・・・産業変化ですね。
次の30年後はどうなることやら・・・
投稿: 管理人 | 2014年6月19日 (木) 22時53分
東邦レースが戦前は落下傘の製造をしていたという誤解が、上尾市民の間で流布していましたが、戦前は東京光学(現トプコン)の上尾工場で、陸軍の銃器用の照準器や戦車用の光学機械を作る軍需工場でした。東京からの工場疎開は帝国陸軍が主導し行われました。東京光学は戦後間もなく東京に戻り、その後、東邦レースが大工場を立て米軍向けのレース織物を製造しました。
投稿: | 2023年1月12日 (木) 09時00分