97歳の最後の誕生日を祝う
その小さく痩せ細った体を見ながら、よくぞ、ここまで生きてきたと思うし、よくぞ耐えてきたなとつくづく感心した。
先日、デイサービスへ母を見舞った。
骨折して寝たきり状態になり数年前に医者からは覚悟しておくように、と言われたことがあった。病室に兄弟が集まり今後を話しあったものだが、その瀬戸際を乗り越えてきた。
そんなことが二度三度あった。
ここ一月、飲み込む力が衰え体重が落ちたとのこと。往診の見立ては厳しいものだった。
介護をする兄夫婦の希望もあり、自宅で静かに逝かせてやりたい。入院して点滴をしても水が溜まるだけで吸収されない過去があった。
そんな連絡を受けて、でかけた。車の長野までの往復は疲れるが、久しぶりに新幹線のため楽だった。
7/14日は、母97歳の誕生日。
意識がなくても真似事として小さなケーキを買って見舞った。
昼食時に、母の耳元で大きな声で呼びかけ、半開きのようなうつろな目で起きた。
ヘルパーさんがクリーム部分を食べさせる。
さじで数回ほど食べた。回りが驚く。
果たして薄く開けた目に、何が写っているのだろう。
私が来ていることは少しは認識できているとは言うのだが・・・
冷たくなった手ではなく、まだ最後のぬくもりがある手を握ることができた。
母のためを通り越して、自分のためのお見舞いであったように思う。
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