市立上尾病院が板橋中央病院に売却された経緯は何だろう
古くて縁遠い出来事を調べるうちに、身近な人へとつながる不思議
実の所、東京オリンピックが開かれた1964年(昭和39年)はさほど昔というわけではない。しかし上尾百年史の中に市立病院が売却された記述は全くない。そもそも驚いたのは、百年史の本には福祉とか医療の項目が全くなかったことだ。
それはともかく・・・
①今、Web上に残る情報では上尾市役所のWebサイトに下記説明がある。以下、原文ママ
上の写真は、柏座にあった市立上尾病院で、昭和39年に撮影されたものです。この病院は、同25(1950)年に上尾町立として開設されベッド数約30床、医師、事務職員など20数人の規模でした。
町立上尾病院は同33(1958)年7月の市制施行に伴い市立上尾病院と改称し、その後も市で経営を続けていましたが、同39年3月さまざまな事情から経営を打ち切りました。この病院のあった場所は、現在上尾中央総合病院となっています。
-----------------------------------------------------
②昭和39.11.20発行号、市の広報記事(当時は自治だより)の「市の財政事情」のページ末にに、ひっそりと書かれていた。
[市立上尾病院事業会計]
閉鎖した病院の負債整理のための会計です。負債額1794万余円ですが、一度に返済することができませんので、本年度は300万円を返済する予定です。病院のあった土地は借地でしたが、あの場所に病院を建てることを条件として、建物などを300万円で板橋中央病院に売却しました。同病院では明年四月完成を目標に建築着工しました。
-----------------------------------------------------
③昭和40年4.20号にも、下記の会計情報のみあった。
市立病院事業会計 歳入2681万8千円、歳出4476万?千円、差引残高1794万4千円
-----------------------------------------------------
赤字以外の理由、つまり「さまざまな理由」は不明だ。当時の赤字幅1800万円はどれほどの規模なのかは、分かりかねる(単年度であり、累積は不明)。②のページにある同年上半期一般会計の歳入額は4億7千万円となっていた。
国民年金の掛金が月額100円の時代である。
ところで、驚いたのはこの経緯を探しているうちに、実は初代院長が近所のクリニックの大島先生だったことだ。 商工会議所の情報誌に先生ご本人が寄稿していた。

なお、板橋中央病院とはWikiによれば、中村三兄弟によって開設された病院であり、中央医科グループ発祥の病院。
まとめると、1950年に上尾町立病院(30病床)として開設された。初代院長の大島正弘医師が10年にわたって勤務。市制移行で1958年7月に市立上尾病院と改称、1964年3月に廃院。資産を板橋中央病院へ売却し、同地に医師・中村秀夫氏が1964年12月「上尾中央医院」(11病床)として開院し今日の上尾中央総合病院に至る。
« 肥大化する上尾中央総合病院は埼玉県で二番目病床数へ | トップページ | 上尾市図書館白書・・・Web予約利用者が来館予約を上回る時代へ-1 »
「上尾市」カテゴリの記事
- 上尾市で一日に11人は過去最多。千人に一人へ浸透(2020.12.14)
- 上尾市のコロナ感染者数が少ない理由(2020.12.12)
- あげおダイニング 味見の巻(2020.12.04)
- イオンモール上尾、下見の巻(2020.12.03)
- 上尾市コロナ、11月はアッピー家族の感染増へ(2020.11.22)
« 肥大化する上尾中央総合病院は埼玉県で二番目病床数へ | トップページ | 上尾市図書館白書・・・Web予約利用者が来館予約を上回る時代へ-1 »
コメント