東邦レース上尾工場…昭和33年上尾自治だよりに見る、稀有な姿
コーセー化粧品上尾跡地がイオンモール上尾になることから、気になったその前の主、東邦レースという会社
追記 2018/6/23
・東邦レース関係で尋ね人のコメントがあります(コメント欄 syuu氏)。
古い記録でローカルな事となると、Web検索では分からない。結局、古い話(と言っても戦前戦後レベル)は、地元の市町の広報誌が最後のよりどころになった。
思うに、上尾市(他の自治体も)は古い広報誌などをpdf文書化したらどうだ。Web開示は問題あるか否か不明だが、せめてCD-ROM化すべきだ。そして図書館に置き貸出可とする。そうすれば、かなり見られると思う。今のままだと、閉架されたカビ臭い古書みたいなものだ。
さらに、地元ボランティアやNPOに索引インデックスづくりをさせれば、もっとイイものができる。
以下、上尾自治だより 昭和33年4月15日 (第38号) より引用。 ただし本文は縦書き。
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同工場は昭和二十七年末当町に移転を開始、昭和二十九年七月全面的操業を開始して、逐次工場の増設拡張に努めつつ今日に至っております。
同工場は町の東南方中仙道沿いに敷地二四、一〇〇余坪を有し、工場の建物は近代的な建築美を誇っており、従って、工場内部の構造も従業員の作業活動に十分な配意が施され、その他の施設についてもあらゆる点にわたって細心の注意がはらわれています。
また、従業員の厚生施設は、県下の工場にはみられないほどに完備されており、これも同工場が他に誇りうるもののひとつであるといえましょう。
以下、提出された資料によって工場の規模と内容等について列挙してみます。
▽本社
東京都中央区日本橋小伝馬町一の二
▽上尾工場所在地
大字上尾宿一八一〇(電話上尾六八・二五一番。大宮二六五〇~五番)
▽資本金
四〇〇〇万円
▽経歴
明治二十二年創業。本年は創立六十九周年。上尾工場は昭和二十七年末着工、昭和三十二年十二月しゅん工。
▽生産品目
刺しゅうレース。ダブルトリコット生地。
▽生産能力
刺しゅうレース月産二五万平方ヤード。ダブルトリコット生地月産一〇,〇〇〇ポンド。
(注) 刺しゅうレースは六〇%。ダブルトリコット生地は一〇〇%輸出に向けられ、主なる仕向地は、東南アジア、近東、アフリカ、豪州、北米方面。
▽規模
敷地 二四四一八坪
建坪 六六一八坪
(注)総て建物は鉄筋コンクリート造りで、東大第二工学部の星野昌一教授の設計による冷、暖房、換気設備、採光、色彩効果等最新式の近代建築学の粋を集めています。
特に寄宿舎、社宅、食堂、浴場、医務室、洗たく場、教養設備等厚生施設を完備した点、わが国においてはまれにみる構想でもあります。
▽主なる生産設備
刺しゅうレース機五〇台(一〇ヤードの標準台数換算六八台)
ダブルトリコット機一二台
(注)刺しゅうレース機五十台中の二十五台は、当社が多年研究の結果、完成した国産レース機で三十一年末より増設したものであり、目下引続き増設中です。また、刺しゅうレースは当埼玉県の特産であり、全国産量の六十%を生産しております。
▽従業員
職員四十四名(内、女一名) 工員六九六名(男三四、女六六二名) 計七四〇名(男七七、女六六三名)
▽上尾工場の組織
取締役社長(工場長兼務) 三木 亦市
常務取締役 坪田 武夫
同 浅井 進一
取締役製造部長 谷川 正義
同 営業部長 岸 富夫
同 総務部長 諏訪 健次
常任監査役 浅井平八郎
常任相談役 能勢 茂八
常任顧問 河合 英吉
製造課長 石川 彦三
技術課長 若原 武夫
生産計画課長 木下 利栄
会計課長 尾本治三郎
用度課長 井上 昇
原料課長 荒 明武
以上
一世を風靡した先端工場が上尾町にとって自慢の種であったようだが、戦後の経済流転は激しく化粧品会社、そしてショッピングセンターへと変わることなど想像できなかっただろう。
東大の先生による最新建築物などは不鮮明な記事内写真に残るだけ、目に留めるような遺物はなにもなく、今は更地になり果てている。
強いて、古い塀は往時の名残なのだろうか・・・・
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コメント
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青春時代を過ごした懐かしい東邦レース・・・・
当時華々しい活躍をしていたバレーボール(9人制日本一、6人制6位、退職後はママさんバレーで全国一)。はじめ バトミントン(国体優勝)スピードスケート(世界選手権出場)、などの運動も、 国体で来られた昭和天皇 皇太子と美智子さま・・・当時東洋一と評判だった近代的な工場や寮などの建築物 もちろん運動部のために建てた立派な体育館も・・・・
最近、60代から70代の元従業員が昔をしのんで同窓会を開催したりしております。
今はイオンが購入した広大な工場跡にはイオンモールが建設されるとか・・・・
投稿: 矢島 和義 (旧姓 須永)ジャージ部 営業 | 2016年6月 2日 (木) 20時49分
遅れましたが、ご来訪に深謝。
東邦レースの輝かしい過去をご存じで、貴重なコメントをありがとうございます。近年、上尾中央病院のバレー部(上尾メディクス)がVプレミアムリーグ昇格程度で沸いていましたが、そんなレベルではありませんね。
糸偏産業は戦後復興の花形でしたが、産業の栄枯衰退は抗えませんね。かの地は、化粧品会社、そしてショッピングセンターへと変わるようです。古い建物や植栽がいとも簡単に更地化されてしまったのを見るのは寂しいでしょうね。
投稿: 管理人 | 2016年6月 5日 (日) 00時25分
管理人様
おはようございます。
旧姓須永様のコメントを読ませていただいて、わたしも良く話題にすることを書き込みさせていただきます。
わたしが勤務する会社には東宝レース実業団時代の女子選手が営業部の元締めで頑張っておられました。(旧姓 田口蛍子さん)また、その方は、さいたま市日進地区でママさんバレーでもご活躍でした。当時、上尾市でママさんバレーをしていた家内を認識されて励ましのことばを戴いたりしていたことが懐かしいです。
私は上尾中学OBでもありますので、かつての東宝レースの建物が壊された時には寂しい思いがしました。
日本だけではなくて、私が来週出張します台湾の竹南地区は昔は繊維産業の拠点でしたが、30年以上前に中国へ工場がシフトされ、今は、その中国からASEANへ移動している状況ですね。木造で昭和産業の油臭さが嫌な懐かしい思い出でもあります。
昭和42年の埼玉国体も郷土の誇りでもありました。
水上公園の流れるプールが廃止されたそうでまた寂しく思っています。
投稿: 秋池幹雄 | 2016年6月 8日 (水) 10時06分
ご来訪に深謝。
上尾育ちの方には懐かしい記事となったようですね。時々、東邦レースで検索してくる人がいます。見知らぬ人に少し役立つとブログのかきがいが有ります。
パレーと繊維と言えば私にはカネボウ貝塚しか思いつきませんが、古き良き時代でしたね。
今の女子バレーと言えば、みんなでかいです・・・
豊かになった証拠ですね
投稿: 管理人 | 2016年6月 8日 (水) 22時58分
管理人様
東宝▶︎東邦 に、訂正させていただきます。
投稿: 秋池幹雄 | 2016年7月 8日 (金) 13時52分
秋池さん 私のこと矢島和義のこと知っていますよね 秋池さんが昔はよくお神輿をかつぎに来てくれた上町のものです・・・
最近は秋池さんか担ぎに来ないのでさみしいですよ 是非また担ぎに来てください。
ちなみに今年は8町内の当番町内で大変でいた。
また、機会があったら書き込みしますね。
投稿: 矢島和義 | 2016年7月25日 (月) 01時20分
昨日7月23日東武ホテルのベルアンジュにて 旧東邦レース ジャジー部の第3回同窓会が盛大に行われました。幹事 矢島 伊藤 和田
楽しい語らいの2時間はアッという間に二次会は隣のカラオケバンバンで、3時間は西口の居酒屋に・・・・皆60代70代の参加者ですが元気です。集団就職時代の仲間なので遠方(新潟、静岡 愛知、栃木 群馬)からも・・・2年ごとの開催なので今度は平成30年開催予定です。
投稿: 矢島和義 | 2016年7月25日 (月) 01時33分
この場をお借りして失礼いたします。昭和40年~昭和42年、上尾中学にいた者です。当時(中学生のころ)、東邦レースさんの社宅?に何度かお邪魔した記憶があります。つい最近、51年ぶりのクラブの同窓会を行ったのですが、そこで東邦レースさんのお話が出ました。当時、アラアキさんという方がいらっしゃいませんでしたでしょうか?もう故人となられておられるとは思いますが、その娘さんが同級生だったのですが、行方・所在が不明なのです(40歳ごろは米国在住・住所不明ということはわかっています)。投稿されておられる皆さんは私と同じ年代か、少し年長かと思われますので、その方は上司か、かなり上の方だとは思われますが、娘さんは同年代か少し下ということになると思います。ただ、娘さんが高校か短大に進まれたころはすでに大宮あたりに引っ越されていたようには記憶しておりますが・・・。
一縷の望みを託して、投稿させていただきます。お心当たりがあれば、ぜひ、ご一報いただけると幸いです。(「東邦レース」で検索したら、この記事に当たりました。)念の為メールアドレスも付記させていただきますが、掲載はされないようですね・・・。
投稿: syuu | 2018年6月23日 (土) 19時10分
syuu様こんばんわ。
尋ね人ですか? 見つかると良いですね。ただ年齢がよく分かりませんが…
なおメールアドレスは万人に公開するものではないので非公開扱いです(スパムメールに使われてしまいますから)。
思い当たる方があれば、このコメントに書くでしょう。
しかし直接、そのような方からメールが欲しい場合は捨てメールアドレスを取り、直接コメント欄にアドレスを記入することもできます。
お手伝いとして、本記事の先頭に、貴方の依頼趣旨を書いておきます。
投稿: 管理人 | 2018年6月23日 (土) 21時39分
管理人さま
ご丁寧なご返事と、有り難いご対応、大変に感謝いたします。ほんとうにありがとうございます。
娘さんの年齢は私と同じですから63~64歳、そのお父さんだと、当時はお若くても40歳ぐらいだと想定すると、ご生存であればすでに90歳はこえてらっしゃると思われます・・・。
大変貴重な記事の中に、このような不躾な投稿をお許しくださり、ありがとうございます。ほかに、学年同窓会のクラスごとの幹事にも当っていますので、そちらの線からも、もしかしたら、判明するかもしれません。もし、消息がつかめましたら、御礼の意味も込めて、また、ご一報させていただくつもりです。
どうもありがとうございました。
投稿: syuu | 2018年6月24日 (日) 06時21分
矢島和義さんからのコメントを只今確認いたしました。
2016年でしたね。
2017
2018
2019
2020
2021
2022 6年後に認知するなんて、申し訳ございません。
お神輿は開催されれば必ず担ぎます。
ことしもダメなのかな?
投稿: 秋池幹雄 | 2022年4月14日 (木) 16時49分
女子バレーの話題で盛り上がってますね。
中学時代、背の高い同級生が東京の私立にバレーでスカウトされて進学。
種目は異なるが東京成徳・三洋電機とスポーツ推薦で進んだ原市中の女子選手も
スカウトだろう。当時男子もシングルスで勝てなかった。
大学時代、生物学で、体が大きいのは遺伝、そして、人間の臓器は体の大小に関係ない
から、心肺に負担が大きく長生きが難しいと習った。
高校の体育で教諭が冗談で話した「俺についてこい」いまだに「鬼の大松」みたいな監督
のいる学校があるみたいですね。
投稿: 本好き | 2022年4月26日 (火) 12時51分