社会的包摂よりも社会的居場所のほうが分かりやすい
弱者の居場所がない社会--貧困・格差と社会的包摂、の感想
阿部 彩 講談社現代新書
ソーシャルインクルージョン。「一億総活躍社会」で政府が選んだ民間議員の菊池桃子が発言したため最近マスコミにも扱われました。
「社会的包摂」と訳されますが「包摂」なんて普段は使いません。辞書では「つつみ入れること」。
反対が「社会的排除」なので、対比でいうと「仲間外れにしない」という意味でしょうか。良い日本語訳がありません。無排除社会でも何かヘンです。
著者は貧困問題の専門家ですが、この言葉は以前から使われていたようです。マスコミはタレントの言葉に飛びつきましたが、2011年1月に官直人総理大臣の直属に「社会的包摂推進室」が作られていて、派遣切り問題が注目された頃から芽生えていたようです。が、直後の大震災で活動がどうなったのかは良くわかりません。
内容は、食べるに事欠く絶対的貧困と相対的貧困の違いや日本人に根強い「精神的貧困」や「清貧思想への憧れ」など分かりやすく扱っています。
思うに、この問題では「贅沢をしなければ生きていける」風の精神論がありますが、それは暮らしに余裕のある人の「いいわけ」に過ぎないと思う。また、モノを長く使い、簡素な生活をすることに美意識を求めるのも嘘っぽいと思う。衣類や家電にしろ日本人は新しいものばかりを欲しがりますからね。
経済問題での貧困だけではなく、その人の社会的な位置や人間関係まで広げて、排除しない社会的包摂という概念を力説しています。その具体的な形が「居場所」や「社会的サポーター」の有無だという。
社会的包摂という物言いよりも、この「居場所」という言葉の方が的を射ていると思います。最近のショッピングセンターでも滞在型消費を追求していて、カネを使わなくても長時間居続ける人(だいたいは老人)が増えていたり、図書館などの公共施設もそういう傾向にあります(物理的居場所かもしれませんが・・・)。
今問題なのは相対的貧困ですが、なるほどって思ったのは「強制的消費」の多さの指摘です。フツーに暮らすための最低生活費のこと。スマホ、冠婚葬祭の交際費、テレビや冷蔵庫等々が挙げられていますが、個人的にはもっと大きいものとして住宅費用があると思います。
カネが無ければ老朽した安い木造アパートでもと思うけれど、今はそんな物件は少なく、こぎれいな軽量鉄骨やコンクリート系の賃貸住宅が多くなりました。家主側も立て替えて資産運用に励みますから、家賃は高くなりがちです。
また教育コストもバカになりません。
ようするに日本人の「生活固定費」が昔よりはるかに高くなったと思います。成熟社会の結果だから悪い事でもないのですが・・・
その一方、収入面で不安定な非正規雇用が定着したこと(これが一番の原因と思います)。更には家族を作らない生き方の弊害という面もあるでしょう。
格差問題では、公衆衛生学者リチャード・ウィルキンソンの有名な研究を解説していますが、もっと日本国内での分析データがあれば、とやや物足りないです。
包摂の理念をまっとうすることには難しいものがありますが、反対の「排除」の方はかなり目につく時代になりました。
ヘイトスピーチはその典型ですし、移民や難民問題もそうでしょう。また非正規労働、同性婚のような問題もそうかもしれません。
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