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2017年1月17日 (火)

上尾市政が堕ちた2つの無謬性—その1

間接民主制VS直接民主制とジレンマ議員の姿
 
無謬性なんて普段は使わないが、昔石破茂氏がテレビで記者に話していた。小難しいことを独特のゆったり口調で語るから、印象に残る。
 
その意味を身近に感じることが二つあった。一つは、昨秋の住民投票署名活動における上尾市議員のふるまいだ。
 
発端は、「なぜ議員は駅頭に出て署名活動を手伝わないのだろう」というもの。直接、署名集めはしないけれど後ろで間接的に応援するなどの少数だったようだ。
 
答えは、「(議員が)間接民主制に異を唱えるような直接民主制の住民投票に加わることは矛盾する」というものらしい。
ようするに、議員が直接民主主義の片棒を担ぐのはヘンだ、というわけ。
 
なるほどねー、と思った。
建前じゃないか、とも思った。
 
議員質問に対して市当局は正面から回答していたか?
議論の噛みあわない答弁で、その場を終えることに終始していないか?
単館構想案から大脱線しているのに、複合館で突っ走ったではないか?
監視役どころか、市長の用心棒になり下がっていないか?
将来へ責任を負える政策プロとして回答していたか? 等々
 
議論を深めるのではなく、はぐらかす場になっていたら形式民主主義だ。
二元代表制なのに市長に寄り添ってばかりでは、議会の存在価値は薄い。
(市議選と市長選の間隔が2ヵ月と短いのが元凶、2年間隔へ離すべき)
 
もう一つ重要なのは「どの議員も行政職員も、政策において絶対に間違いを犯さない」という分けではないだろう、という事。
たぶん公務員は、個人としては「いや間違えることだってあります」と答えるだろうが、組織としては認めないだろう。
 
不思議な光景を見た。
10月末の署名活動の最後日。
上尾駅の東口ではあまり見ない議員。
演説姿が何かヘンだ 
 
Img_9699
名前が無い。
のぼりも無い。
名前が商品なのに、売る気は無いようだ。
彼女のジレンマであり、プライドなのだろう。
 
足を止めて聞き入る市民は少なかったが、美しい光景だと思う・・・
 
ところが、とんでもない所に直接民主主義を後押しする議員が現れた。
自分の名前を書くだけじゃ物足りなくて、名簿丸写しまでしたらしいという。けっして間違いを犯さないではなく、間違いばかり繰り返しても平気な人がいる。
 
直接も間接も共に無謬ではないのだから、時には謙虚さが必要のはず。
 
とりわけ図書館は議員や市職員が使う施設ではない。
 
「使う人」に直接決めさせようというのが、賢い人の謙虚さだろう。
 
 
2016/12/21に議会で否決された。
図書館を使わない人達により。
ウソと言うなら、彼らの貸出数を開示して見ろよ。
 
その2へ・・・
 
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