コミュニケーションの阻害語について想うこと
友だち幻想のつづき
最終章に、ムカツクとうざいの問題について書かれていた。この言葉を使うと相手との関係性を深めることなく拒絶してしまうからコミュニケーション阻害語だという。
ムカツクもうざいも昔からあった言葉なのに、若い人が多用するようになったのは、昔よりも社会のルール性が緩くなったためと言う。
確かに、こんな言葉を言われたら話す気なんか起きないけど、相手との阻害語であるだけでなく、本人にとっては思考の遮断語になる。
きっとこんな言葉を使ってばかりいると、考えることが苦手(つまりは )になってしまうはずだと思う・・・
「それはフェイクだ」と言い張る人、 「それは印象操作だ」と言い張る人。
互いを友達だと思っているが、幻想でないところが怖い。
きっと寅さんなら、「それを言っちぁおしまいよ」 と返す。
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