上尾市長選分析-4 マーケティング視点から
公開される選挙データはとても貧しいため、定量分析は前回でほぼ終わり。ここから先は定性的な視点でみるしかない。選挙慣れした政党人や議員、或いは新聞記者のような視点からの分析は恣意的であったり断片的すぎる。
彼らとは全く違う視点で考察しないと、この上尾のジレンマから抜けられないと思うから、マーケティング戦略の視点で気の向くままに書いてみたい。というのは、観察して思ったのはマーケティングの定石理論と非常に似ている面があるのに、その発想が希薄だったからだ。選挙は泥臭いとは思うが、それにしても前近代的すぎだ。
基本的なマーケティングの4P戦略で見るわけだが、その前に気になっていたのがこの上尾市長選の曖昧な構図だ。F・コトラーの市場地位別戦略でみる。
業界のリーダー企業の目的は現状の地位保全にあり、二位以下に大差を持つ企業である。チャレンジャーとはリーダーには模倣できないイノベーション(革新的な差別化)を持ち込むことでトップを目指す意思のある企業を指す。フォロワーとは上位企業に追随するだけの中途半端な存在。ニッチャーとは狭い市場に限定特化した専門企業の事である。
市長選が業界、候補者が企業である。本来は現職(または後継者候補)がリーダーの立場になるが、現職の支持母体の新政クラブが擁立を見送り、畠山と鈴木がチャレンジャーとして市民の前に現れた。秋山はニッチャーそのものだ。このリーダー不在とみえる構図が、少ない情報で意思決定する市民に誤解を与えたのではと思う。
二人のチャレンジャーとニッチャーが不在リーダー(旧利権勢力)を攻撃したわけだ。無党派市民からみると三人は知名度で畠山>鈴木>秋山の順で大差があるが、同じように市政改革を唱えており、程度の差があるだけと見たかもしれない。
さらに畠山と鈴木の差を民進党県議と自民党市議の争いと理解した人もいるだろう。畠山が利権政治につながる新政クラブ内の老議員達の地元で、連れだって選挙運動していたことなど知る由もないだろう(鈴木派は街頭で伝えたといっても、そもそも聞いている市民は少ない)。
鈴木が自民党を離党したとか新政クラブと敵対的であったとか、ましては自由投票の共産党は目立たぬように支援をしていたということを知っている市民は、政治通に他ならない。
強いて明確だったのは秋山のニッチャーとしての存在感だ。女性であること、徹底的に利権政治と戦う人というポーズを公報やチラシで訴えた。選挙資源が乏しいためにニッチャーの域をでないが、二年前の五千票から三千上乗せという予想外の得票はその現れとみる。
広域選挙で名前を浸透させ、議会支配勢力の新政クラブや公明党の公の推薦を受けていたら畠山がリーダーそのものであり、チャレンジャーが鈴木となり分かりやすい対立構図だったと思う。
無関心な顧客へは情報そのものが伝わらない。
つづく
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