昨秋に、上平の新図書館建設の是非を巡り署名運動を率いた「上尾市条例制定請求代表者の一人」大友 弘巳氏から、二つの寄稿がありました。
以下に掲載します。 大友氏のプロフィールは
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1.
第一の分断者=畠山稔氏の本性を考える・・・下に掲載
pdf版はこちら(A4、3頁)
畠山氏の政歴や鈴木氏出馬に関わる政策フォーラム内の確執も書かれています。関係者内では周知のことですが、署名記事として価値があります。
第一の分断者=畠山稔氏の本性を考える
上尾市条例制定請求代表者の一人 大友
弘巳
選挙公報に掲載された畠山氏の好きな言葉。
「天無私」初めてきく言葉です。広辞苑に載っていませんでした。造語かな。
無私が全く当てはまらないというか似合わない人がいうと滑稽です。
畠山さんが好きな言葉として「天無私」を上げていることについて、上記の通りのメールをいただいたので調べてみました。
Web検索では以下のように出てきました。
禅の言葉、禅語に「天無私」(てんわたくしなし)と言うのがあります。天、私無しと意味するものは、深いです。
一つは、大自然は公平無私で万人・万物対して平等という意味であります。
それは、太陽は善人にも悪人にも日を照らし、風は貧富に関わらず吹きます。
もう一つは、大自然の働きは、少しの無理も作為もなく、滞りなく整然と働きます。
誰かだけに偏ってもいません。 などと書かれています。
いずれにせよ畠山氏には当てはまりません。
2年前の市長選挙では立候補しないのかという声に対して固辞していたのに、今回にわかに身を乗り出してきたのは、この状況なら自分でも勝てると読んだからと思われます。
背景には、民進党の国会議員が3分し、希望の党は絶望の党に転落しているのに、畠山氏が仕えてきた大島敦衆院議員(埼玉6区選出)は希望の党の代表代行になってしまったことがあります。
民進党県連幹事長の畠山氏の任務は大変困難になってきています。
すでに、県会議員の離党が進み、3分の1が脱落していますが、効果的な対策はありません。
枝野氏が率いる立憲民主党の地方組織づくりが進もうとしていますので、民進党の県連は崩壊する可能性が高くなっています。
誰がやっても大変なポストに畠山氏が立っているわけで、ここで頑張れば政治家として信頼されるリーダーに成長できるチャンスです。しかしそれはそれだけの能力と決意、行動力が伴わなければできることではありません。
畠山氏にはそれらが足りない(欠けている)と仲間からも見られていたようです。
だから、県連の代表や県議仲間から怒りは買ったものの、本気になって引き留める人はいませんでした。
畠山氏にとっては、上尾市長への横滑りができたら、この上ない絶好の転職です。
68歳という年齢からすると政治家としてラストチャンスです。
そして、彼がそのように転身することは、民進党県連に対する裏切り行為であり、県連の崩壊は加速することになりますが、畠山氏はそんなことは知ったことではない、という選択をしたことになります。
朝日新聞のインタビューに対して、「後ろ髪をひかれる思いだが、‥‥上尾市政立て直しへの使命感が勝った」などと述べていますが、それを信じる人は少ないでしょう。
政治家は信義・信頼を失えば失格ですが、畠山氏はそれを選択したとも言えます。
まさに、自分ファーストです。
「天無私」とは真逆ではないでしょうか。
こんな人が、この困難な時に、23万人市民にとって頼りにできる人とは思えません。
ここで大島氏が全面的に支援する理由は、上尾市政を畠山市政にすることで大島氏の支持基盤を強固にできると計算しているからだと考えられます。
上尾の民進党は丸ごと希望の党に吸収してしまおうと狙っているのでしょう。
上尾市は、衆議院小選挙区埼玉6区の拠点ですから、市長が自分の味方であれば大きな支えとなると考えているわけです。
大島氏も自分を守るために必死です。この人の行動も「自分ファースト」というしかありません。
「上尾政策フォーラム」という政策集団は、所属政党の違いを超えて結成している会派ですが、畠山氏が突然名乗りを上げるまでは、会派として鈴木茂さんを市長候補として擁立することを決めていました。
そこに民進党県連幹事長としての畠山氏が突然手を突っ込んで、民進党所属の市議3人を鈴木さん支持から切り離すことを画策したのです。
畠山氏の力だけではそれは困難でしたので、大島氏が全力でサポートして強要したものと考えられます。
町田議員、浦和議員は抵抗し、中立の構えを取っていますが、鈴木さん支持とまでは残念ながら頑張れていません。これ以上楯突けば、次回の選挙では別の候補者を立てられてしまう仕返しが予想されますので、無理もありません。
結果として、池野議員が畠山氏の選対本部長を担うことになりました。
力量不足には目をつぶっての任命でしょうが、それしか選択肢が残らなかった訳です。
選対本部の実権は地元上尾の市議ではなく、他の人(大島氏秘書)などが握って進めているものと推察されます。
私は、11月8日の徹夜の市議会で、議長選挙にあたり、新政クラブの小林議員の立候補の野望を打ち砕いた力に感動しました。
この時の11人の議員の結束が守れれば、市長選で、新政クラブと公明党が統一候補を押し出したとしても、11人の議員と市民が共闘すれば勝利できる、その候補者としては鈴木さんをおいて他にはいないと考えていました。
しかし、11人の結束を分断する動きがまず民進党の畠山氏によって引き起こされた次第です。
そして、新政クラブは独自候補を立てることを見送り、自主投票を決めました。
水面下では畠山氏を担ぐことが前提となっており、鈴木さんが市長になることだけは阻止しようという意図であることは見え見えです。
公明党は徹底して沈黙を守っています。公表を避けているのでしょう。
「公開討論会での、畠山さんの8日の途中退席や、9日の欠席の理由に対する批判があいまいにされている」とご意見をいただきましたので、補足します。
「知事への対応」などは真実の理由ではないのだから、あえて言いたくないという気分がありました。
言い換えれば、主催者が畠山氏の欠席の理由を「知事への対応」と説明することは、かえって畠山氏を弁護することになってしまうと感じていたからです。
畠山氏は、公開討論会に参加して市民の前で論争するとか、そこまで行かないまでも、政策や見識、決意のほどの比較をされるだけでも自分にとっては不利だと考えており、自信がないから、出たくなかったということが真の理由だったと私は受け止めています。
そして彼の選対の人々も、畠山氏を公開討論会に出してはまずいという判断をして出席に反対しました。その筆頭が池野選対本部長だったという情報が得られています。
しかし、それでは市民からの批判はもちろん、さらにはメディアからも批判されるリスクが大きいという意見もあり、恰好だけは付ける、つまり、主催者質問3点は、あらかじめ秘書や選対本部が答弁書を準備すれば、本人はそれを読み上げるだけで良いので、そこまでは出席し、その後に退席する、という対応が工夫されたものとみられます。
実際に、8日当日、畠山氏は答弁用の文書を持参して、それを見ながら回答していました。
しかし、そのことをもろに主催者が暴き出すことはさすがにはばかられ、ただ「残念なこと」と繰り返すことしかしませんでした。
参加者のみなさまから厳しい批判が出されましたが、他の3人の候補者からの見解も含めて、もっと多くのご意見をいただく工夫が必要だったと未熟さを反省しています。
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