相模原方式をしないのは理由がある
最近、AANという市民団体が相模原方式で上尾市議会の評価をする、とブログで書いていた。
「議員が眠っている」ことを批判する人は多い。しかし目を開けていても、心ここにあらずは誰でも経験あるはずだ。私語を慎み真面目そうな態度を重んじたところでそれは議会制形式主義に陥る。
そもそも、今の一般質問は登壇議員以外は口を挟めないから、レジメも無くて質疑の流れを理解できず、質疑そのものがバカだったり、メリハリがなければ、眠くなるのはフツー。傍聴席でも寝ている人はいる。つまり「一般質問」自体に問題があるのだが、それは別の機会にしたい。
●中身の評価について
全議員の質問内容を分析・評価(アセスメント)するのは労が多いだけで益は少ない。特に、定性的な評価は説得力が薄い。例えばA議員は良く調べもせず「○○○」を質問していたと評しても、それは評価者の視点にすぎない。さらに「△△△」の件ではよく調べていた、と書くのだろうか。全数検査ではキリがない。
そしてこれが核心なのだが、評価者が不偏不党、客観的公平であるということをどう証明するのか。政策に持論をもつ市民団体が評価をしたら、偏っている、色眼鏡で見ていると言われ兼ねない。
三年くらい前に「相模原市議会をよくする会」の内容を見た。議会改革に関心のある人には新鮮だが、報告書をみても腑に落ちるものは無かった。試みは良くても、市民団体側が事実と主観を織り交ぜながら議員を一刀両断に斬る、という高飛車な姿勢が伺えた。全数調査で負荷が多いわりに、最後の評価があっさりしていてその間がブラックボックスに見えた。1/26日には最新版が報告されたが「市議の公約通信簿」と変化しており、評価法の苦労が伺える。
そもそも全員を評価する必要などないことはあの通信簿を見れば明らかだ。議員の格付けや序列化が目的ではなく、一次フィルターとして事実のみを伝えている(質問回数/時間/文字数比率/報告活動)。もしも全議員が同じような質問回数となった時には、内容分析に入らざるを得ない。今はあの表で、相応しくない議員を浮き彫りにできていると思う。
しかしAANは相模原方式で上尾市議会を評価すると言う。早くアウトプットを待ちたい。
「ジバン・カンバン・カバン」から「政策重視」へ
●安曇野市を考える市民ネットワーク 市議会議員がどれだけ発言したかを議事録で調べ、回数を集計して報告。現在の上尾方式(当ブログとかまちょ図書館)と似るが、やや物足りなかった。2017年で更新が止まっていた。
●尼崎オンブズマン…定量的なデータ中心によくできていると思う。
●北海道福島町議会の議員自己評価
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