森喜朗の「女は話が長い」の核心はジェンダー論じゃない
話しの短い女性を登用しても済まない話し。
追記 森辞職となればJOC会長・旧皇族出身の竹田恒和氏(フランス捜査当局による贈収賄容疑)の辞任に続くわけで、美しい言葉の裏には利権や封建思想が宿る。
どうしても「井戸端会議」を連想した思い込みに囚われやすいが、森さんは自分も話は長いほうだと言っていた。彼が根に持っていたのは、予定調和の会議が乱される事、或いは実質的な仕切り役としての存在感が削がれたり、演説まがいの長話を垂れる時間が取れなかったことへの不快感にありそうだ。
行政の会議とか委員会には、始まる前から用意されたシナリオが消化されれば良いと思っているフシがある。実質、報告会、承認会にみたいなもので行政手続きの工程になっている。
乱数表で選ばれたわけでもなく、フィルターを通して選ばれたメンバーだから、その網にかからなかった人が入ってしまうと、その人の発言は調和を妨げるはずだ。実際、空気を読まないとか無知から論点外れな事を言う人もいるだろう。でも森さんの記憶にあったのは、忖度しない素朴な質問や疑問を挟む人のことであり、それがたまたま特定の女の委員だったらしい。
森発言の裏は「男は話が短くてイラつかない」である。
というのは、委員会に選ばれる男は、そこに鎮座した権力者(人事権者)の顔色を伺って、口を挟むなんて「考えもしない」利害関係者が多い。その場にいた山下氏も取材に対して「指摘する機を逸してしまったというのが正直な感想」と言っていたが、会議後に問題視した節はない。つまり森さんへの「教育的指導」ができなかった。
だから既得権益を代表する女性委員だったら予定調和の話となり、素人目線からの話しであっても遠慮し、長話にはならない。実際、行政の委員会に選ばれるなんて名誉なこととして親和的態度に終始する女性だっているはず。つきつめれば、委員会が情や利権で支配されるのか、理で支配されるのかという違いだ。
そこを、体育会系と村社会で重なった部分の人が「女は話が長くてメンドウだ」という次元に、無意識に留めている。森発言をジェンダー論で批判するのは当然だが、そこに拘りすぎるのは矮小化だ。
森さん、麻生さん、二階さん達の主張に共通するのは結論を述べても理由が足りないこと。正直に理由を言うと露骨になるからだろう。もはや老害というよりも老醜に近いのに、それに依存しないとやっていけない日本になっている。
思い起こすのは、この間の畠山市長の政治案件である上平新複合施設検討委員会で異議を唱えた人たちが続出したこと。森発言の裏返しとして、たいへん良い委員会だった。ただ、あの後、「話が長い」なんて愚痴った人はいなかったが、予定通りにいかなくなったと嘆いた人はいただろう。
でも、それが健全なのだから恥じることは無い。
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