そして尾花市議と共産党市議の違い・・・
関連 二人の新人県議選・・・ 、公式サイト:尾花あきひと 秋山もえ
※スマホのアクセス多いため、やや文章を短文化した。
●質問回数を使った時代背景
昔、一般質問の回数や質問時間を使った議員評価の記事でアクセス人気を得た。それは、他によい指標が無いからやったに過ぎない。重要なのはそんな評価をした理由である。年間0とか1回という怠惰な議員が四・五人もいた「ぬるま湯議会」だったのだ。
新政クラブが崩壊した今、その意味が薄れたことは、こちらの報告記事からも明らかだ。実施率は8割近くになっている(議長はしない前提)。
しかし、「駅前の雑草が伸びた」みたいな子ども議会レベルや、市民生活とは縁遠い抽象的テーマを「義務の消化試合」みたいにやって去った「野心の会」議員など、回数だけは人並みなのだ。登壇=存在アリバイになっている。
回数で評価する限界は他にもある。
質問しないことで有名な渡辺綱一議員は、すぐ寝てしまうという逸話や人当たりの良さ・地域の大地主という話を聞くと、仕方なく議員をしていると想像する。選挙前には一回は質問に立つが、それで当選を重ねるのは投票率の低さがもたらしている。一方、満点議員(オール四回)でも質問登壇とは「やってます感」の証明でしかないことを、昔、星野議員の例に書いた。
かの評価者も理想は質的評価と分かっているが、それは政治主観に左右される欠点を知っている。だから、今どき、誰々は回数が少ねえな、と批判をする人はいない。いたら、ディスりたい心理の現れだろう。ちなみに、満点のK党市議団はここをブックマークに当ブログを訪れる ('ω')。
●尾花あきひと市議のレポートを見る
「活動レポート 第24号」は12月議会での一般質問の報告が主で、市会議員として最後の作品だ。内容は特徴的だった。
当節、統一教会と地方議員との癒着が疑われるが、一切関係ないと断言し、「反日思想を教義に持つ団体」と辛らつに批判した。そもそも連中は当落危うい議員に寄生し、地盤のある人には付きにくい。
同志会の中での役割分担かも知れないが、扶助費的な有権者への分配要求のテーマは無い。
1 工リア別土地利用方針の転換・・・これは必見
2 水上公園周辺の今後
3 物流倉庫GLP上尾周辺整備
4 防災無線の補完・改善
5 地域社会から民主主義を
公明や共産さらには衆寓政党、狭い地元愛の人は、支出つまり分配政策で人気取りをする。なので彼の問題提起は希少だ。分配(カネ)を求めるだけなら子供でもできる。分配原資を稼ぐネタを見つける方が責任ある大人である。
政策への感想は長くなるので次記事とする。
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尾花議員のレポートや発言の特徴をざっくり言うと、「難しいことを難しく語り、易しいことまで難しく語る」である。
それは、「若いのにたいしたもんだ」という一方、「小難しいことを言う。生意気だ」という嫉妬を生む。後者は、(勉強しない)年長保守系議員や他会派議員が抱きやすい。
専門的な言い回しが多いのは、熱心な勉強のためかも知れないが、度が過ぎる印象は否めない。実は、昔その点を、長く行政仕事に係る某事業主と意見が一致した。彼曰く「お父さんもそうなんだよ」と言って、笑った。遺伝か (>_<)
●漢字含有率を低くする
80年代の日本語ワープロの黎明期に普及活動をしたことがある。ワープロを使い始めるとビジネス文書が漢字だらけになるので、漢字含有率は三割以下がベターと言うものだ。
尾花レポートは漢字が多い。そこで、比較的柔らかい「5 地域社会から…」で判定したら、漢字含有率は47%となった。半分が漢字だ!※1
パッと見で読んでみたくなる文書ではない。漢字の多さは敷居を高くし、堅い内容は読後感を薄くする。なお、「為」の多用には!。「事→こと」のように避けたいものだ。
行政には「学校施設更新計画」のように漢字用語が多いために仕方ないが、せめて四割位にすれば、つまり表現を言い換える工夫をすれば、かな混じりの会話文に近づく。(本稿は39%)
それには、「正しさよりも、分かりやすさ」、「あれもこれもよりは、精選」を優先し、『難しいことを易しく語る』と良い。そこに、『面白く語る』が加われば文句なしだ。
平易と言う点では、鈴木茂議員レポートは読みやすい(元教師だからと言うことではないと思う)。
●世襲政治家としての若き尾花氏と日本
上尾市では宮下幼稚園の田中議員や鈴木議員が世襲。県議の町田さんはプチ世襲だろう。国会の四人に一人は世襲議員である。
社会が成熟して投票率が低下した影響と思っていたが、そうではないらしい。
テレビでお馴染みの本郷先生によると、「家を継承する世襲は、世の中が納得しやすい。また島国であるため外圧が少なく世襲を継続した」と言う。世襲とは人であり、それは血縁であり、つまりは「家」だという。
明治維新の担い手が世襲でなかったのは、世襲が通用するほど甘くない、(外国と比べ)日本は強くないという認識が、能力主義を台頭させたといい、日本史的には稀だと言う(維新後は貴族院ができた)。さらに、外圧が無いと変われないのが日本の『ぬるさ』と言い、次の黒船は少子化であり、GDP30位に転落した頃に「これはヤバイと気づくかも」と言っていた・・・。
新陳代謝のためにも世襲は好ましくないが、選挙を経るのでマシな方だ。脱世襲と言っても、党内人事で選ばれた政党候補者や氏素性の怪しい連中が現れたりするので、新陳代謝どころか淀む心配さえある。
私的には日本で世襲が温存されるのは、競争を避ける社会だからだと思う。世間には「二世」を推す組織がたくさんあるが、一番ダメと分かるのは二世俳優である。オーディション抜きで使われる。
●質問の多い共産党と作者不明レポート
昔から、井上議員や鈴木茂議員らが議会報告をネット公開しており図書館問題で引用した。秋山かほる議員は議会を長期休んだ間はレポートも出さない。さて、質問回数の多い共産党市議団のレポートを見ると、回数の多寡で判断できないことが分かる。
彼らの報告書は、個人ではなく集団の成果物なのだ。議員団ニュースの「上尾民報」では各議員の質疑報告は2面に少しあるだけ、それは「上尾ぎかい便り」レベルである。
議員の顔写真をクリックして見られる個別レポートは地域割りされた地域後援会便りみたいだ。「誰である」よりも党優先なのだ。内容はミニ地域紙みたいな寄稿も混じり、少年期を書いたであろう昔話もあってユニークだが、議員レポートの体をなしていない。
そんな一つ、「戸口佐一議員」の上平後援会ニュースに「戸口」の文字が一つも無かった号がある。主語の使い方で本人が書いていないことが分かるが、執筆者名さえ無い。
党内ならそれで済むが、党外の市民にとっては、文章からその議員の総合的な能力を見ることは出来ない。
代筆レポートでは、書く能力のない議員と言うことであり、回数で評価してはいけない例になる。そもそも彼らのネット発信は党まかせであり、個人の労作ではない。
つづく
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