ノイジーMiへ二児の母が光るコメント
傾聴力の無い人に向けるサイレントマジョリティの声
島村時代の劣化市政を見てきた者には、パブリックコメントや地域公聴会という名の住民参加は、反対者を集めた行政の消化試合、ガス抜きの場だよねと達観した。
また、去年のアンケートでは現実を理解した現役層が圧倒なので、わざわざ(会場で少数派となる)賛意を述べに行くまでもない。更に失礼ながら、一部高齢者の噛み合わない主張劇を見るヒマも無い。しかし、バブコメ回答集の中に、秀逸なコメント(p43)を見つけ、気恥ずかしくなった(-_-;)
2人の子供の保護者として、計画の考え方を理解し、基本的に同意します。 ただし、今後の進め方にあっては、住民の声を幅広く聞いた上で判断して欲しいです。 地域公聴会を聞きましたが、一部の反対する高齢の方々が同じような主張をされ、その後もクレームを言っていました。議員もいましたが、仲間内で参加をされているようでした。 開催方法を考える必要があると思います。あのような進め方では、保護者をはじめとする若い世代は、賛成の主張はもちろんのこと、意見すら述べる雰囲気ではありません。誰のため、何のための機会なのかわかりませんし、反対する人しか参加しませんよ。 保護者の意見がアンケート結果として表れてはいますが、意見聴取は、公平に幅広く行われるべきで、PTAや子供会などを活用したり、対象者を限定して行うことも一つの方法と考えます。 現役保護者やこれから子育てする世代の声を多く聞きながら、計画を進めていただきたいと思います。 |
党派性が無いであろう二児の母親のコメントは、ノイジーマイノリティ(声高な少数派)とサイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)の違いを見事に物語る。
そして、サイレントMjである彼女が勇気をもって書いたのが、『もっと広く意見を集める場』という切実な願いだ。なのに市回答ときたら、「貴重なご意見として賜ります」と共感力が無い。
当局は、去年の実績に照らし、「おっしゃる通りです」と答えれば良いのだ。
と言うのは、大規模アンケートを一般相手のみに限定せず、当事者となりうる子育て市民層にも配分し、結果として高い回収率により、高齢者に偏るシルバー民主主義を回避したではないか! その公聴会版を設ければ良いのだから難しいことでは無い。
一般に、無制限に意見を求めることが公平と思われるが、現実は、反対団体の集団応募や特定地域や承認欲求に飢えた人に偏り、形式的な公平=実質的な公平とはならない。(例、アンケートを郵送回収にすると高齢者に偏る)
大勢の前での発言には勇気がいるから『主張したい人』だけではなく、多様な市民層が参加する仕組みを作って、と言う建設的な意見なのだ。そう言われると当局は、尻込みするサイレントMjから募るのは面倒だな~と当局までも尻込みしやすいが、『良き公益』を作るためのみならず、『市民を味方につける』という付加価値にも気付くべきだ。
繰り返すが、上の慇懃無礼な回答でスルーするようでは失格である。まさか、古い住民運動の被害体験から、物言うのはうるさい住民ばかり・左派ばかりというステレオタイプに陥ってはいないか。
時代は変わっている。多様性もそうだがハッキリ書けば知性も高く、上のコメントには品位さえある。「上尾は人口が増えているのになんで学校減らすんだ」という幼いコメントやアンケートを必死に否定したい冗舌コメントと比べたら、雲泥の差である。
老人会みたいで老人会じゃない。写真はこちら
一方、(暇も手伝って)引退高齢者の中には承認欲求を求める人もいるから、「どんなもんじゃい」とドヤ顔したり糾弾の場と勘違いした人がいたのか? そうなら公聴会全体の3割位を完全フリー制、つまり「言いたい放題の回」にして寄り添うのもアリかな…。
なお、コメントにある議員は某党と思うが、内輪で怒りを共有するようなスタイルでは若い有権者から疎まれる。
『小規模校を潰すためだ、という反対論』
以前は無かった反対論なので取り上げてみる。発言者は意図していなくても、気の毒な弱者という印象操作を与える。
当節、人権・平等・〇〇権利など否定できない普遍的価値や言葉を使って、議論を拡大する人がいる。そういう論法は、相手から批判されにくく、批判すれば「冷たい人」「不寛容な人」という後ろめたさを相手に背負わせる。
つまり、相手を黙らせる効果がある。
言うまでもなく、現実の統廃合は小さい方が吸収廃校となる。逆は多分無い。そうなるのは合理的だからであり、その方が持続可能性が高くなるからだ。そして、日本各地で「また小規模校潰しが行われた」という報道は聞いたことが無い。その中で良く言われることに、学校が無くなると地域が衰退するというのがあるが、学校があっても衰退していくのが現状である。
結局、冒頭の表現はたんに弱者を盾にした論法に聞こえるだけでなく、別な背景もありそうだ。
前に書いた、最適な学校規模の立証ができず、海外出羽守では説得力も無いから、ロジックでの反対から情緒的反対へ後退したと見た。
そもそも、もはや小学校に通うはずの無い高齢者が反対することには違和感があり、「地元から学校無くなるのはイヤ」というホンネの方が素直で共感を得やすい。自己防衛は本能だから地域エゴが全否定されることは無い。堂々と主張すれば良いのだ。
問題は他者の共感を得られるか否かであり、それには小規模校つぶし論法は疎まれる。蛇足だが、主張者は、地元校が存続する替りに他エリアで廃校したら、他エリアのために反対するのかは不明。
おしまい。
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